アマミコ信仰復活願う 奄美市笠利町大刈山 住民らアマンデー参拝

2022年06月09日

地域

大刈山山頂「アマンデー」に参拝する住民ら=7日、奄美市笠利町

開闢(かいびゃく)祖神「アマミコ」の降臨地で「アマンデー(あまみ嶽)」などと呼ばれる奄美市笠利町の大刈山(183㍍)山頂へ7日、近隣住民らが参拝した。代々「アマミコさま」を信仰してきた笠利町平の大山幸良さん(93)は、「昔は集落以外にもあちこちから願掛けに人が訪れていた。若い世代にも知ってもらい、大事な場所を受け継いでいってほしい」と話した。

 

奄美大島の開闢神話では一般的に、女神「阿摩弥姑(アマミコ)と男神「志仁礼久(シニレク)」が奄美群島や琉球列島をつくったとされる。大刈山のほか、宇検村と大和村にまたがる湯湾岳(694㍍)にも降臨地の伝説がある。

 

大山さんらによると、大刈山に降りた「アマミコさま」は1柱の女神で、海を流れていた島を立神(奄美大島の海沿いの集落の沖にあって神聖視される岩や小島)でとどめ、日の神や水の神、穀物や食べ物の種などを降ろして奄美大島をつくった。その後島伝いに沖縄へと渡り、最後にヤマト(日本本土)へ向かったという。

 

本来の聖地は山頂だが、明治34(1901)年に地域住民によって参拝しやすい山の中腹にも碑が建てられ、この場所が昭和46(1971)年に笠利町(現奄美市)の指定文化財として整備された。

 

住民らは田植えが一段落する旧暦5月の9、19、29日と、収穫が終わる9月の9、19、29日、正月などにアマンデーを訪れ、家内安全や五穀豊穣(ほうじょう)のほか、戦時中は武運長久などを祈願してきた。戦後廃れたが、大山さんと家族は登拝を続けてきた。

 

旧暦5月9日に当たる7日は大山さんの呼び掛けで、平、節田集落の住民ら約20人と、与論町出身で国学院大学大学院で伝承文学について研究している源園生さん(68)が大刈山に集った。一行は山頂と中腹それぞれで塩、米、焼酎、線香、ミキを供え、健康や地域の安寧を願った。山頂では島唄の奉納もあった。

 

山頂までの道のりは、航空自衛隊奄美大島分屯基地の敷地に隣接した山道。高齢の大山さんのため、下山の際は車での同基地敷地内の通行が許可された。

 

大山さんは「アマンデーは奄美にとってとても重要な場所。子や孫に受け継ぎ、今後は中腹での八月踊りなども復活させたい」と期待した。