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沖縄県知事は最高裁判決に従って辺野古埋め立てを「承認」しなければならないのか?―行政法研究者の見解

 沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設をめぐり、行政法の研究者らが国会内で記者会見を開くというので参加してきた(10月5日)。
 この前日、沖縄県の玉城デニー知事は、埋め立て工事の設計変更(軟弱地盤の地盤改良工事の追加)を承認するよう求める国土交通大臣の指示を事実上拒否する政治判断を行っていた(正確には「期限までの承認は困難」と回答)。これに対してSNS上では、「最高裁判決に従わないのか」「行政の長なのに法治主義を無視するのか」といった批判が浴びせられていた。
 国土交通大臣は昨年4月にも、玉城知事に設計変更を承認するよう求める指示を行っていた。玉城知事は、指示は違法として取消訴訟を提起したが、最高裁は9月4日、国土交通大臣の指示を適法とする判決を下していた。
 玉城知事が、最高裁が適法と判断した国土交通大臣の指示に従っていないのは事実である。このことについて行政法の研究者らがどんな見解を示すのかに興味があり、記者会見に参加した。

行政法研究者の記者会見。右から、白藤博行・専修大学名誉教授、本多滝夫・龍谷大学教授、紙野健二・名古屋大学名誉教授、岡田正則・早稲田大学教授、徳田博人・琉球大学教授=10月5日

最高裁判決は直ちに承認を義務付けるものではない

 登壇した5人の行政法研究者の見解は明解だった。
 最初にマイクを握った名古屋大学名誉教授の紙野健二氏は「(沖縄県知事の判断は)法治主義に反するという無茶苦茶な批判があるが、とんでもない話。法治主義が何かを理解していない論だ」と喝破した。
 まず最高裁判決は、沖縄県知事に埋め立て工事の設計変更の承認を義務付けるものではないということ。
 今回の最高裁判決が承認を義務付けるものであるならば、法的にはこれで決着がつくはずである。しかし、実際には決着はついていない。その証拠に、国は新たに地方自治法に基づく「代執行訴訟」を提起した。沖縄県知事はこの訴訟で不承認処分の適法性を改めて主張することができるし、国はこの訴訟に勝たなければ承認を確実にすることはできない。
 今回の最高裁判決を法的な最終決着と主張するのは、「(地方自治法に基づく)代執行制度を否定するもの」(紙野教授)なのである。

最高裁による「審理権の放棄」

 登壇した5人の行政法研究者は、最高裁判決も厳しく批判した。
 龍谷大学教授の本多滝夫氏は「最高裁が審理権を放棄するような判決を出したことを深く憂慮している」と語った。
 この裁判は、沖縄県知事に埋め立て工事の設計変更を承認するよう求めた国土交通大臣の指示の適法性を問うものであった。
 沖縄県知事は、設計変更の内容が公有水面埋立法などで定められた承認の要件に適合しないと判断し、不承認の処分を行った。これに対し、国土交通大臣は設計変更の内容は要件に適合していると判断し、承認するよう指示した。設計変更の内容が、公有水面埋立法などで定められた要件に適合しているかどうか――これが争点であった。
 しかし、最高裁はこの争点に関する実体的な審理を一切行わずに、国土交通大臣の指示は適法と認定した。
 その根拠としたのは、防衛省の出先機関である沖縄防衛局の審査請求に対して国土交通大臣が昨年4月に行った「裁決」である。
 沖縄防衛局は設計変更を不承認とした沖縄県知事の処分を不服として、行政不服審査法に基づき公有水面埋立法を所管する国土交通大臣に対して審査請求を行った。国土交通大臣は審査を行い、設計変更の内容は公有水面埋立法などで定められた要件に適合しているとして沖縄県知事の不承認の処分を取り消す裁決を行った。
 最高裁は独自に実体的な審理を行わず、国土交通大臣が行ったこの裁決を唯一の根拠として、同大臣が沖縄県知事に設計変更を承認するよう求めた指示は適法だと認定したのである。
 これが、「審理権の放棄」と本多教授が指摘した理由である。
 国土交通大臣が沖縄県知事の不承認は違法だと判断したから違法なんだと言うのであれば、最高裁の存在意義はどこにあるのだろうか。

政府が裁判所に実体審理させないためにとった脱法戦術とは

 そもそも行政不服審査制度は、違法・不当な公権力の行使から国民(私人)の権利利益の救済を図ることを目的とする制度である(※)。政府の一機関である沖縄防衛局による審査請求は、明らかに制度の目的外使用である。沖縄防衛局の「私人なりすまし」と批判されるゆえんだ。

※【行政不服審査法 第1条】
この法律は、行政庁の違法又は不当な処分その他公権力の行使に当たる行為に関し、国民が簡易迅速かつ公正な手続の下で広く行政庁に対する不服申立てをすることができるための制度を定めることにより、国民の権利利益の救済を図るとともに、行政の適正な運営を確保することを目的とする。

 政府の一機関である沖縄防衛局が審査請求したものを、同じく政府の一機関である国土交通省が審査し裁決を下す――これは「自作自演」にほかならず、公正・中立な審査など望むべくもない。
 「沖縄防衛局が申し立てたものを国土交通大臣が裁判官役をやる。こんなことが許されるのか。本来、裁判官は利害関係者の訴えは扱ってはならない。国土交通大臣はこの審査請求で裁決を出せる機関ではなかった」と早稲田大学教授の岡田正則氏は指摘する。
 しかも、国土交通大臣は、沖縄県知事の不承認処分を取り消す裁決を行った上で、承認するよう求める指示を出した。前者は行政不服審査法に基づく手続き(下図①)で、後者は地方自治法に基づく手続き(下図②)である。国土交通大臣は、別個の法律に基づく性格が異なる権限をごちゃまぜにして行使したのである。これについても岡田教授は「権限の分別がついていない」と批判する。
 政府がこのように脱法的で際どい手法をとったのは「裁判所に実体審理をさせないためだろう」と前出の本多教授は指摘する。裁判所が審理する前に、行政不服審査制度に基づく政府内の審理で法的判断を行い、その結論を裁判所にそのまま使わせようという戦術である。
 最高裁も、この政府の思惑に沿って動いた。独自に実体審理をせず、国土交通大臣の裁決を唯一の根拠に、沖縄県知事に設計変更を承認するよう求めた指示は適法だと認定したのだ。
 本来ならば、政府の脱法行為をただすべき最高裁が、それを追認してしまったのである。
 繰り返しになるが、国土交通大臣の法的判断だけを根拠に最高裁が法的判断を下すのであれば、国土交通大臣の裁決が実質的に最終的な法的判断ということになってしまう。
 それでは、この裁判の意味はない。
 しかし、3月の高裁判決はこの裁判の意味について、「代執行に係る訴訟と同様に、地方公共団体の長本来の地位の自主独立の尊重と、国の法定受託事務に係る適正な確保との調和を図る趣旨」と述べている。
 残念ながら、今回の最高裁判決は100%後者の国の立場に立つもので、前者の地方自治体の自主独立を尊重する視点は皆無であった。両者の調和を真剣に検討した痕跡もまったくない。
「日本ではもはや三権分立は機能していないのではないか」――会見参加者から出された質問に、前出の白藤教授はこう答えた。
「まったく機能していないと思う。だから、こんなことが起きているんです」

行政法研究者の4分の1が声明に賛同

 今回の記者会見に登壇した5人をはじめ13人の行政法研究者が呼びかけ人となり、9月27日に、「行政法研究者有志一同」による「9・4辺野古最高裁判決および国土交通大臣の代執行手続着手を憂慮する」というタイトルの声明が発表された。
 声明は、最高裁判決を「不合理極まりない」と批判した上で、政府に対して「ただちに代執行手続を中止し、沖縄県との対話によって紛争の解決を図ること」を求めている。
 この声明には、会見が開かれた5日時点で88人の行政法研究者が賛同を表明したという。呼びかけ人と合わせると101人になる。
 会見で司会を務めた琉球大学教授の徳田博人教授は「この数は日本の行政法研究者の4分の1に当たる。これだけ多くの行政法研究者が、専門的な知見から検討し、これはおかしいという結論に辿り着いた。このことを多くのみなさんにお伝えし、政府のやり方はおかしいという声を全国にもっと広げていきたい」と力を込めた。

行政法研究者の4分の1が声明に賛同した意義を強調する琉球大学の徳田博人教授

この不条理を正すには「国民的運動が必要」

 地方自治法は代執行訴訟が提起された場合は、15日以内に口頭弁論を行うと定めている。よって10月20日までに第1回口頭弁論が行われる。国側は「(第1回口頭弁論で)弁論を終結し、可及的速やかに本件請求を認容する旨の判決がされるべきである」と即日結審を要求している。
 記者会見に登壇した5人の行政法研究者は、代執行訴訟では先の最高裁判決が避けた実体審理を行うべきだと主張する。
 白藤教授は「沖縄防衛局は軟弱地盤が水深90メートルまで達する(と推定される)地点の地盤強度を調査していない。本当にこれで大丈夫なのか。(国は問題ないと主張し、沖縄県はこれでは安全を守れないと主張しているが)どちらが正しいのかを明らかにすべき。そういう中身の議論をしてほしい」とした上で、「代執行訴訟は1回の口頭弁論で終わるかもしれない。それを許したら日本の司法は死んでしまう」と憂慮する。
 しかし、9月4日の最高裁判決に示されたような今の日本の裁判所の現状を鑑みれば、代執行訴訟で実体審理を行う可能性は限りなく低いだろう。形式審理のみでスピード結審し、玉城知事に設計変更を承認するよう命じる判決を下す光景が目に浮かぶ。玉城知事がその命令に従わなければ、国は「代執行」で承認できる。
 このあまりにも不条理な現実をどう正すことが出来るのか――。紙野教授はこう繰り返した。
「国民がどうするのか、どういう怒りをぶつけていくのかにかかっている」「国民的運動が必要だ」

本当に向き合わなければならないのは誰か

 この問題で本当に問われているのは、日本国民一人ひとりの主権者としての行動なのだと思う。
 そもそもこの問題は、①すでに米軍基地が集中し過重な負担となっている沖縄県にさらに新基地を造る(しかも、軍事的に沖縄でなければならない理由はないにもかかわらず)という日本政府の差別的な政策②日本政府が、過去の選挙と県民投票で明確に示された沖縄県民の民意を無視して辺野古新基地建設を強行しようとしていること――から生じている。
 本来ならば、このように非民主的で差別的な政治は主権者である国民の手によっていち早く正されるべきであったが、多くの国民の「無関心」や「黙認」によってそれがなされていないことが今日の事態を招いている。
 行政法研究者有志による声明は、政府に代執行手続の中止と沖縄県との対話による紛争解決を求めるとともに、沖縄県と知事に対しても「県民投票で示された県民の意思を尊重する立場を引き続き堅持し、仮に代執行手続が続行されたときは、自治の担い手としてこれに正面から向き合うことを切に願う」と述べている。
 沖縄県と知事そして県民は、これまでもこの問題に十分過ぎるほど向き合ってきた。辺野古への米軍新基地建設のために民主主義や法治主義、地方自治を踏みにじって沖縄県知事を追い詰める日本政府の暴力に正面から向き合わなければならないのは、むしろ本土に暮らす我々の方ではないだろうか。

この日は首相官邸前で代執行訴訟の提起に抗議する行動が行われた。

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