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言語と芸術と思考のゆらぎ〜視覚・身体で表現する
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渡邉)渡邉康太郎がナビゲートしているJ-WAVE「TAKRAM RADIO」

今回のゲストは先週に続いてインタープリターの和田夏実さんです

今週もよろしくお願いします

和田)よろしくお願いいたします

渡邉)さて、第一言語が手話という和田さん。

今はいろんなものを製作することもあれば通訳をしたり、

ゲームを開発したりまた研究もしているということでした

おそらく博士過程にに在籍していて

色々な研究を進めているのではと想像するんですが

どういう研究をしてるのか改めて聞いてみていいですか

和田)はい、ありがとうございます

先週の時に、手話について翻訳や通訳をずっとしている

という風にお話させていただいたんですけど

その私の家の中での言語が手話だったこともあって

言語自体はだいたい20数年くらい

身近なものとしてあって

その手話という言語、音声言語と視覚身体言語の間で

メディアの違いというものにすごく触れることが多くて

感覚とかどういう体でインプットするのか

ということがテーマとしてあったんですけど

今自分が研究しているものでいうと

内言っていう内なる言語という書き方、文字を書く

内言に関する研究をさせて頂いていて

それはあの今私が例えばこうやって話しているのは

外言で外に出ている言語で外言研究が

これまでの言語学研究なんですけども

私がこれから触りたいと思ってるのは

内言の頭の中に広がる言語空間の話、考える話なんです

例えばちょっとここから康太郎さんに質問を

投げていきたいと思うんですけど

渡邉)はいお願いします

和田)明日から屋久島に行くことになりました

屋久島に行く準備をちょっと頭の中でしていただいてもいいですか

渡邉)今頭の中で準備してます

和田)聞いていらっしゃる方も宜しければ

頭の中で屋久島に行く準備をしていただけたらなと思いますが

ある程度できたらちょっと教えていただけますか

渡邉)なんとなくできました

和田)ありがとうございます

ではまず、今どちらにいらっしゃいますか?

渡邉)今僕は自宅のウォークインクローゼットのドアを開けて

自宅のウォークインクローゼットと

その外を行ったり来たりしながら

あー、このゴアテックスの上着でしょう

あー、この鞄でしょう

僕、今年の前半ね弘前を軸に色々青森を旅行していて

白神山地行きたいと家族で盛り上がってたんで

ブナ林のトレッキング用の色々を買ったんですよ

だから旅行から帰った後に

むしろ旅行で必要だったものが増えたみたいなのがあって

それらを買っていてまだ全然使っていないけど

これが使えるんだろうなーって

それを置いてある場所を想像しながら今過ごしていました

和田)ちなみに、そのウォークインクローゼットを開けたときの

手の触覚はありましたか?

渡邉)多少ね。ガラガラーと滑らかな滑り心地であいて、

強くやりすぎるとがちゃんって反対側にあたっちゃうから

最後ちょっとブレーキをかけて反対方向に動かすとか

和田)結構細かいんですね笑

あと、映像でしたか?写真でしたか?

渡邉)写真でした。写真的ですね。

ウォークインクローゼット入ってすぐのところに

多分ゴアテックスがかかっててそこの写真かな。

和田)ちなみに屋久島には行きましたか?

渡邉)行ってなかった、行ったことないです。

和田)じゃあ飛行機(のチケット)は取りましたか?

渡邉)そっちの準備考えてなかった

どっちかというと屋久杉で作られたテーブルの記憶とか

杉?杉の木?なんかそういう家具?一枚板のカウンター?

みたいな連想がありました

和田)いいですね。笑

では、その家具とかカウンターは白背景、白堀のところで

家具が置かれてるみたいなイメージなのか

インテリアショップみたいなものの絵として浮かんできたのか

渡邉)先月、江之浦測候所、

杉本博司さんの小田原の江之浦測候所の受付塔にある

テーブルでお弁当を食べたんですけど

そのテーブルが一枚板のカウンターでそれを思い返してたかな

和田)いいですね。私も話を聞きながら

康太郎さんのこの一年を一緒に旅してる気持ちになりますね

今ちょっとまだ短くなんですけど

これをいろんな人に聞いていく中で

紙にペンを持って持ち物リストを書いていたと

いう人もいらっしゃれば

VR空間みたいなところに

半透明のスーツケースがポンと置かれてて

そこに3Dオブジェクトがポンポン入ってくるとか。

渡邉)マインドマップっぽいですね。

和田)あとは、行って帰ってきちゃう人結構いますね。

持っていかなきゃいけないものを、屋久島に行きながら、

水着!トレッキング帽子!みたいに

そういう風に頭の中で行ってきちゃう人もいる

渡邉)面白いですね。必要なものをゲットしてるようなイメージもあるし

和田)あと屋久杉の湿り気に触ってました、みたいな。

なぜか屋久杉のトップまで体がもう行っていて

そこの湿り気を触っていた記憶。

話してくれた人は触ったことないんですけど

誰かが喋ってたことを思い出して、それを触れるんだな

これからって思ってました。みたいな人もいたり。

それが触覚の方もいらっしゃれば、言葉の方も

映像の方の写真の方も他の方もいらっしゃる。

すごく多様な記憶の想起がそこにはあって、

それから連想もそこにはある。私が言語とか

さまざまなメディアの中での翻訳を考える時に

新しいメディアっていうの考えていくと

内言の世界はめちゃくちゃそもそもが多様であって

そこに対して表現者であれば、表現するし

人は紙に書いたりとか写真に残したいとかいろんな

メディアで映像、映画を作ったり

アニメを作ってみたりとかされると思うんですけど

手話という言語では目と体を使うので

視覚的に簡易的にその場を作る、表すメディウムでもあるし

伝えるのための言語として成立していて、

それは音のラベルとは違って映像的であることが多かったりもする

渡邉)なるほどなるほど

和田)どっちがいいとかって話は全くなく

ただただ例えばそういうメディアを

もっともっと探求したり、その表現方法に

多くの人も参加できるようになってきた時に

紙にペンがあった時に字も書くし絵も描くみたいに

自分の中のイメージを対面の誰かに向けて伝えるっていう方法を

持っていたらそうするかもしれないとか

なんかその内見の世界の多様性をどれぐらい狭めずに

相手に渡すことができるか

そういうことをずっとメディアを作りながら考えている

というのが私の大きなテーマとしてはあって

それゆえに言語と芸術と思考を巡っているところが

あるんですけど

渡邉)気になるね、内言の内容をなるべく狭めずに伝える作法。

そこで視覚身体が成せる技っていうのが色々ありそうだと。

ちょっと話題を狭めちゃうかも分からないんですけど

先日あのコーダの映画をみてあれだよね

アメリカで高校に通う女の子が主人公だけれども

両親とお兄ちゃんがろう者で家の中では手話で

自分は耳が聞こえるみたいな中でドラマの後半で

お父さんが一緒に家に入らずにちょっと外で考え事をする

風にあたってくるっていっていなくなろうとするところを

娘が追いかける。何してるのって

お父さんに聞いたらちょっと考え事っていう風に

その手話で考える答えるんだけれども

この時にちょっとハッとしたんですけれども

その手話が第一言語で音声で言葉を扱わない人

考え事ってどういう世界観なんだろうというのが

すごく気になったんですよ

その視覚身体が頭の中に浮かんでいるのか

イメージが浮かんでいるのか

人によってもちろん違うとは思うんだけど

なんか典型的な作法とかよくある作法ってのがあるのかな

ご存知だろうかとちょっと聞いてみたいと思ったんだよね

和田)これは今後の研究、研究の作法的な話にもつながるんですけど

博士過程に入ってみて研究に触ってみて始めてみたら

研究の残し方が論文という形態だったということに

今すごく大きな壁にぶち当たっていて

手話という音声言語になかなか翻訳できない感覚的な言語を

言葉で記述していかなければならない、メディアの壁、

知の巨人たちの体がもうすでに大きなものとして

巨大な体で、音声言語におけるラベル付けをして分けて考える、

分けながら考えていく体系が長い歴史としてあって

でも例えば音声言語は物が現れたりした時に

それを名付けていくことによって

「ある」ことにしていたかもしれないんですけど

手話の場合は名付ける前に図像的な形状を共有する

イメージを共有する方法もあるわけでそもそも

分けてなかった可能性もあると思うんです

手話という言語で世界が成り立っていたら

ものを分けずにわかる方法で成立していたかもしれなかったり

そう考えていくと知の一体型のあり方が

そもそも全然違うのかもしれないみたいなことにぶち当たっていましてて

考えるってところに戻るんですけど、

それは答えをまだ私が持っていないっていうのが

正直なところでして今手話話者の皆さんとラボ活動をしていて

毎週zoomで話しながら手話に色ある?とか考えたり

手話で表してる時にでも机とか椅子とか

そういうの手で表す時にその机のイメージには

色があるのかないのかとか

こう記憶やイメージを探って行ったり

引っ張り出してくる時の身体感覚と

その時のイメージと考え事をしている時

それぞれの時にどんなことが起こってるのかを

まず私の中から出したりその人の中から出してもらっていくことで

「ある」を探していくというのがまずの私の研究活動としてはあって  

まだ答えられないんですけど

渡邉)あのなんかすいません

素人の安直な連想をだと視覚身体の視覚側だと

表意文字と人間がどう触れ合うかみたいなのは

結構ヒントになるんですかね

例えば新しい漢字を見た時にその漢字は知らないんだけれど

意味を類推するみたいなのって視覚言語的な世界なのかなと

思うんだけどそれってどうなんでしょうか

渡邉)もう一個はその体で言うと演劇とかスポーツがあると

思うんですけど体を動かすことによる何ていうんだろう

営みでそれこそスポーツでよくコーチと選手の間で

オノマトペを活用するみたいのあると思うんですけれども

すごく具体的に筋肉の動きを説明するというよりは

めちゃくちゃ感覚的にその体の動き方を伝達するために

オノマトペが介在している

それによって体の動きが伝わっていく

視覚と身体がちょっとこれだと分離しちゃってるかも

分かんないんだけど漢字っぽい表示文字のアプローチと

そもそも身体というアプローチを引用しながら

研究に紐づけるみたいなのってどうなのと今ふと妄想したんですが

和田)何が一番いいのかちょっと分からないところもあるんですけど

私はそのビジュアルのところでの発想法や思考回路に対して

bruno_munariを利用することが多くてファンタジアとか

見立ての冗談としてフォークが手にみえてくるみたいな

ああいう冗談がすごい手話の世界には

特に私たちの会話の間ではすごく多くあったので

ビジュアルなものを一回ここにおいてそれの形を変えていくとか

そういうの形を変容させていくことで遊びをつくる

考えなおしたほうがいいよっていう時に

相手の頭の中から脳みそを取り出して洗って返すみたいな

そういう会話が起こったりもする時もあって

ありがとうって言った時にありがとう気持ちを

心の中にしまっておくみたいな

そういう体の使い方があったりして

アニメ的なチャーミングさたいなのもあるし

同時にそのさっきのアスリート的なと言うか

身体を共有することによるミラーニューロンじゃないですけど

すごくこう相手から移しあおうとするが故に

例えばすごく手話の巧みな方とよく喋ってると

すごく自分が上手くなっていくような感覚で

うつりやすいなんか5年ぶりに父親とちゃんと喋ってみると

自分の語りが父親すぎてびっくりしたみたいなことがあったんですけど

渡邉)それはなんかいろいろ連想するところがあります

先日哲学研究者の近内悠太さんと話していて

哲学系の人とゆっくり語らうっていうこと自体が僕は初めてだったんだけど

その今、和田さんがいってくれたような考え直した方がいいよをいうために

相手からの脳みそを取り出して洗って返す的な何かを感じたんですよ

でこれどういうことかって言うと

あの誰かがメタファーを言った時に

そのメタファーにどんどん乗っかっていくのが面白くて

どういうことかっていうと

これ3人の鼎談だったんだけど

荒木博行さんっていう人がそれって

つまり競争しないってどういうことか

自分の弱さを認めるってどういうことかって話題になっ た時に

博さんが突然例え話という話をしだして

マラソン大会に出るけど順位を上げることを目指さずに

道端の花を愛でるっていうことかなといったら

近内さんがそれを受けて

いやでも本当に弱さを追求して同じ評価軸から降りるんだったら

その人はそもそもマラソン大会に出なくて良かったんじゃないといって

マラソン大会に出てるんだったら内なる動機として

少なくとも上位には食い込めないにせよを記録に残したい

自分の存在を記録されたいっていう内なるモチベーションは

依然としてあるんじゃないかみたいなことを語りだして

ちょっと待って花を愛でるみたいな話が大事だったのに

マラソン大会への登録に話を移してきたか、みたいのが

面白くてメタファーをそのまま額面通りに受け止めるんじゃなくて

そのメタファーの中に真理があると1回見立てる、思い始める

決めた時の矛盾みたいなのをなんかツッコミとして活用するんじゃなくて

新しい思考のきっかけとして活用する、つまり間違ってるじゃないんだよね

マラソン大会はおかしいと言わない、

マラソン大会に申し込んだからには

内なる動機が別にあるはずって仮説構築の材料として使うってのは

秀逸だなと思って僕は度肝抜かれたんですよ

和田)あの意識の向き方がその世界を探索するのには

すごく効果があるなとか効いてくるなって思うんですね

さっきの盲ろう通訳の話に持っていってしまうんですけど

例えば恋人と道を歩いてても

ある人はドーナツ屋さんを覚えていて

もう一人はドーナツ屋さん覚えてないってことは

往々にしてあるじゃないですか

盲ろう通訳の現場においては道を説明していくというのがあり

前からなんとか屋さんがあって なんとか屋さんの先に

もう一個もう3軒先に銀行があります

と伝えながら道を一緒に歩いて行くんですね

みえたものもちゃんと言葉で記述していく

そういった全部ある程度、網羅的に受け取ることを望んでる人もいれば

甘いお店が甘いものがある時教えてください人もいるわけで
そういう編集作業みたいなことをひとりひとり自分の無意識下でやってるんだけれども

そこに媒介者が間に立つことによって私の今日の編集はどうするかを

その人が選択してオーダーをいただくみたいな

なんかその今の多分お話も哲学的な思考なのか

もしくはその方の思考なのか分からないですけど

意識の置き方がそこにも深さのドアを開けながら

その深層心理を探っていくっていう意識の置き方そして

何か会話の終着点としての花を愛でるみたいなところに

みんなで向かおうとしたはずが

あそこの扉がまた開くことによって

問いというものが様々に来出来上がっていく

友人が哲学をやってる友人が中学校ぐらいの時に

自分の形がわからなくなって

すごく自分がグラグラしたみたいなことをいっていて

それが怖くてそれをぐらぐらさせなくするために

平行世界、パラレルワールドの研究をして

ずっと考え続けてるみたいなことをいっていて

なんかなぜそれに疑問を持たないんだろう周りの

人はでも自分はそれに対して疑問を持っていて

それが分かっていかないとグラグラしてしまってしょうがない

みたいなことをその人はおっしゃってたんですね

哲学のですがみんなそうではないと思うんですけど

あそこの心細さとかむしろそこに見える景色とか

意識の向かい方みたいなものが私はすごく愛おしいなと思って

心細かった中学時代があなたにもあったかもしれないけれども

だからこそ耕された世界がまだまだ先にたくさんあるんだろうな

って思ったのがすごいなんか良かったと思って

聞けて良かったなーって思ったんですけどあります

渡邉)あの今の話を持ち出したのの最初の動機は

メタファーの世界なのかなとも思ったんですよね

フォークが手に見えてくるってのは

フォークっていうものをみた時にフォークの意味から外れて

これって手にも見えるみたいな見立てって

結局今ある世界と別の世界を重ね合わせていく

っていうことじゃないですか

重ね合わせた時に

今あるよりも空想の方を重んじながら

空想の世界に乗り換えていくというか

なんかその空想への乗り換えみたいなのは

視覚身体言語のとっかかりになるのかなと考えながら聞いていました

和田)創造性とか想像力とかクリエーションを評価することって

やっぱりすごく難しいんですけど少なくとも

その言葉から連想する想像力と

視覚から視覚にメタファーによって飛んでいく

思考回路のそれぞれが耕せる世界もあるし

触覚的な思考みたいなものも多分あるだろうし

そのそれぞれが誘引していく世界や

開かれていく世界があるんだろうなと

すごく同じトピック、同じテーマを話していても

音声言語で喋る時に向かう方向と

視覚身体言語で話している時の方向と全然違うなという

渡邉)きっとねなるほどね

今あのそもそも和田さんが内言の研究をしている

内なる言葉っていうことだったんですけど

そもそも内言の研究というのは

世の中的にはどういう風になされていて

今どういう状況にある世界なんでしょうか

和田)記憶の研究では内観法など

例えばずっと見えてるものとか記憶の中の

思い出していったものをずっと喋っていくなどの

いろんな頭の中への触られ方は

例えばその心理学もそうだと思いますけど

少しずつされてきてはいるんですけども

率直にいうとまだまだ未開拓っていうところが

現状かなという風に思っていて

かつ私のアプローチでいうと

なんか去年チョムスキーが講義で
I-languageっていう頭の中の世界と

それを外化する線的なリニアに繋がっていく音声言語と

視空間が広がっている手話という言語があり

視空間の広がりからは新しい言語体系の立ち上がりが

あるのかもしれないねくらいしかまだいってなくて

それが一体何なのか一体どんな世界なのかは

今これから手話言語学などの世界の中で

探っていくところがあるのかなと思ってるんですけど

その内言研究自体は本当にどうやって外に出してもらうか

みたいなところと主観すぎて評価できなかったこともあったりして

でもそれがある種環世界とかそういう学びの体系のあり方、

例えば自然科学などにすごく偏重していくような学問の世界だったのが

いやいや子供達が世界を見た時に月はパンケーキでできてるよ

というような素朴理論も大事にしようよみたいな

パワーバランスが起こってきたことで

やっとそっちの世界も大事にしていけるようになってきたのかな

というような体感もある気がしますね

そのボトムアップ型の知の体系といいますか

渡邉)和田さんの研究者としてのモチベーション、

何ができたら嬉しいというのはあるんですか

もちろん知的好奇心みたいのが元々ベースにはあると思うんだけど

今の研究によってアプローチしたいこととか知りたいことって

何なのだろうか

和田)言語の獲得っていうものをずっと見ていた時に

なんか言語の獲得って結局世界に触れる方法を知るということというか

世界と触れ合えるようになる、それを扱えるようになったり

組み合わせられるようになったりすることなんだなって

そういうことを通して他者と繋がれるって

いうところに根源的な喜びや感動があって

それは言語獲得だけじゃなくて

様々な家族とか繋がりとか関係性のあり方や

関わり合いのあり方っていうのが見えてきた時に

その人自身が生き生きするみたいな瞬間があって

その瞬間に出逢うことですごく喜びや感動を覚えるんですけどなんか

そうしたその人自身が生き生きするための方法とか

コミュニケーション手法とか

またはすごくシンプルに

その人の世界の中にあるものをただただ「ある」っていっていきたい

「あるね」って一緒にいっていたいみたいな所があって

それを大事にするための方法やメディアやワークショップだったり

遊びだったりゲームだったり何でもいいんですけど

そういう風にしてそこから耕される

その人の中のあるを一緒に見つけて

世に置いていきたいというか

おいてまた誰か遠くの誰かと一緒にそれあったんだ、って
そういうことをすることで一人一人の中の生き生きとか

一人一人の中の「ある」を肯定していくプロセスを経ながら

共に在りたいっていうのが

すごく大きなテーマとして私の中ではあります

渡邉)なるほどそれってなんというんだろう

片方が理解することもあるし

どっちかの人が既にあると思っているものを

もう片方の人もあると気づく

そのためにちょっと自己変容が起こるみたいなパターンもあれば

両者が相互侵食していく中でお互いの感覚が

拡張されていくってパターンもありますね

どっちもあるんだろうなー

ある感覚を共有する

和田)そうですね

そこが正しいとかどっちがいいとか

その成熟だとかってことではなくて

あることを一緒に発見することで

私の体もまた変わるし相手の体も変わる

そういう共に更新されていくものとしてそれを扱いたいと言うか

その生まれた時の体とかその時の状況とか

どこでどんな言語獲得してっていうところもまた

すごく尊ぶべき要素なんですけど

でもそれだけで全てを分けていくのではなく

そのそれぞれの中にあるものを探索して探求して

あるっていっていくような方法を探って世に置いていくことで

それと全く異なる他者が出会った時にも

その人の体とかその人自身が耕される

Cultivateしていきたいのかもしれないんですけど

私の中ではブラックスワンがまだまだめちゃくちゃいると思っていて

オーストラリア大陸で黒鳥を初めて見た時のように

白鳥だけだと思ってたのに黒鳥がいたみたいなことが

たぶん一人一人のあるを探ってく中で

ものすごくたくさんあると思うんですよね

そういうこれまでの概念がガラッと変わっていくとか

これまで見えてなかった景色がみえるとか

そういう創造性というか世界の多様さと豊かさと

そこにおける概念のディスラプトされていく感覚みたいなことを

楽しみながらより良い社会とかっていうと難しいですけど

一人一人もっとが肯定されながらいきいきとLivelyな状態になれる

やり方共にいる佇まいみたいなことをずっと考えていきたいな

と思っています

渡邉)なるほどなるほど面白いですね

その今まで気づかなかった感覚みたいなのに気付く

いろんな作法が世の中にあると思うんだけど

旅行とかは普段と違う文化圏に入って

違う常識に触れる違う場所に触れると

強制的に自分の当たり前が引き離されていくし

物語テレビ小説とか映画に触れるみたいなのも

あの現実から一歩距離をおくという作法ですよね

でその他に遊びみたいのがあって

特別なルールがある空間とか時間に入り込むことで現実とは違った

力学で動く関係性とか出来事に触れることができるって言う事で

その感覚を新たにするスイッチみたいなのどうやったらあるんだろうっていう

そういう問いも繋がってきそうですね

それでいうと和田さんはその遊びを色々開発してるって

いう事だったけど

今お話は後半戦に入ってきましたがその遊びの取り組みについて

ちょっと聞いてもいいですか

和田)例えば視覚身体言語に関していうと

丸をゆっくり描くそれが丸に見えるっていう

そのそういうことの繰り返しで

言語が頭の中の認知の中ではジェスチャーが言語になっていく

っていうことがすごくたくさん行なわれてきていたりして

最近はそういうのをヒントにしながらカタチカルタみたいな

シェイプイットというゲームを作っていて

様々な形のすごく抽象度の高い形のものを並べて

それを今私がどれを表してるのかを当てていくっていうような

形のかるただったりとかそれを重ねてモンスターを

一緒に作るみたいな遊びをしたり

そういうこう視覚的な動かす絵本みたいな

体と視覚の間でつなぐようなゲームやおもちゃを作っていたりとか

触覚領域の探求としてたっちまっちっていう様々な

パターンがUVプリントされたカードを元に触覚のババ抜きをしたり

触覚の神経衰弱をしたり

あとタッチコースターっていう紙で作った

様々なテクスチャーのものを指で巡っていく

コースターゲームみたいなものとか

そういった棒で繋がりなから知らない人とのその人の質感を探る

知らない人と繋がるとその人の圧力とか優しさとか立ち振舞いが

手を通して伝わってくるみたいなそういういつも使わない感覚のモーダルを活用して

人と繋がるための遊びっていうものを多数作っていて

そういった活動を全盲の方と一緒にゲームセンターを作ったり

タッチマッチとか触覚の探求は盲ろうの方の触覚デザイナーさんと

一緒にやらせていただいたいっていうのをもう8年ぐらいですね

それぞれのプロジェクトがずっと動き始めてから

8年ぐらいやっていて

私たちの少しずつ進めながら言語化出来たものや発見できたものを

都度ゲームにして世に出してみるっていう事をさせて頂いています

渡邉)面白いその新しいあるの経験とか感覚を

遊びの形で追体験できるようなそんな取り組みなんですね

和田)あこれ面白いねってみつけたものを

そのまますごいありがたいことに雑誌の付録として

幼稚園さんの付録として出させていただいたりとか

紙の妖精さんたちのぺぱぷんたすっていう

チームの皆さんと出させていただいたりすることで

全国の子供たちがその私たちのあるを一緒にあるって触れたりするので

そういう風なメディアの中に付録って形に落とし込んで

届けさせていただいたりとか

体験型展示を作らせていただいたりとか

あかそういった風に多くの人とやらせていただくことで

その人の中のまた先のあるを見つけていくみたいなことを

ワークショップをしたりしています

渡邉)それってこのラジオのリスナーの人が一個遊び

実際にやってみたいと思ったら

これはどこかで何か買ったりできるんですか

和田)ありがとうございます

あのリンケージっていう棒でつながるゲームに関しては

東急ハンズさんとかロフトさんで取り扱いを頂いてるのと

さっきぺぱぷんたすさん紙で遊ぶ妖精さんたちが

それこそは21-21の翻訳展のビジュアルを作ってくださってる

アートディレクターの祖父江慎さんという方が作られている

紙の妖精さんたちのシリーズが今ぱぺぷんたすで

6冊あるんですけどそれの4号と6号に

たっちまっちっていう触覚の神経衰弱と

タッチコースターっていう触覚のコースターゲームを

ださせていただいておりまして

こちらもあの書店さんでご購入いただけるかな

という風に思っております

渡邉)ぺぱぷんたすはひらがな?

和田)ひらがなです

渡邉)承知。あれですね、2週に渡って抽象的な話も多かったんだけど

それをものすごく、でも実際にやってることはすごく身体的で

めちゃくちゃ具体的な世界でもあって

突然何かこう手話を学ぶとか体を動かすっていうのは

何かきっかけがないと難易度が高いかもしれないけど

こういうゲームから身体による言語の世界に触れられるのは

すごく良さそうですね滑らかに

2週に渡って和田さんにゲストとしてお越しいただいたんですが

もう僕にとっても普段意識的に考えてこなかった

その視覚的な言語の世界とか身体的な言語の世界を

想像しながら聞く話だったので

なんか自分はいつの上に座って語っているだけなのに

イメージの中ではすごく運動野が刺激されたような

そんな気分になりました

感想というか感触みたいなものありますか

和田)以前から渡邊さんのお話をお伺いする中で

コンテクストデザインと人の水脈の話というとても興味があったところと

私自身がその初めてお会いして以降

すごく自分の中のあるをもっと探求したくなったなというのを

改めて今回お伺いするまでのことを振り返りながら考えていて今日

なんか本当にたくさんのトピックというかキーワードをいただいて

またそれを帰ってどうやって耕そうかなって思っていたりして

あのとてもとても楽しくて健やかで豊かな時間でした

ありがとうございました

渡邉)こちらこそですよ

なんかムナーリはそういう風に読めるんだとかね

なるほどバレリーナの人の表現に

そんな重みを見出すんだとか

自分の感覚では今まで触れていなかった感覚の扉を

開いてもらったような気が僕もしましたね

和田)一番最初にお会いした時がTEDxの時が

一番最初だったと思うんですけど

あの後にインターンでお邪魔した時に

私が父がただ遊びの中で

目をとって飛ばして家をみにいくとか

あのブラジルに目を飛ばして

その情景を想像して想像の中で遊ぶという話をさせて頂いて

それがすごく印象的だったっていう風に

あのお話しいただいてなんかそれがすごく私の今の活動の本当に

スタートのすごい一番最初の大事な記憶としてあったので

本当にありがとうございます

渡邉)僕自身がそれをちょっと忘れてたけど

ドラえもんの7巻くらいでそういう秘密道具

出てきたかなっていう連想今しましたけども

そういう風な和田さんの今の活動に何かのきっかけの記憶の断片に

ちょっと引っかかっていたかもしれないと思うと

あったかい気持ちになります

そしたらこの番組ではあの#TAKRAM813で

リスナーの方が感想とか質問寄せてくれるんですけど

良かったら和田さんとリスナーの方の間で

ご一緒に考えたいテーマみたいなのがあったら

問いかけみたいなのを頂きたいんだけれどもいかがでしょうか

和田)ぜひよろしかったら皆さんの夢の話を

聞きたいなと思ってまして

一番よく見る夢でもいいですし

すごく記憶に残ってる夢でもいいんですけど

そこに例えば音や匂いや触覚感覚だったり

もしくは全然違う何かまた別のメディア

もしくは第六感みたいなものがあったりするのか

どんな様相でどんな形で夢というものが現れたのか

是非お伺いしてみたいなと思いました

渡邉)あなたは夢で何を感じていますか?

和田)あなたは夢をどんな形でどんな風に見ますかみたいな

渡邉)あなたは夢を持ってるかどう感じていますか

面白いじゃないですか

わださん自身は今どんな風に見るの?

和田)最近結構衝撃的だったのは

スライムにはまっていったせいか

最近ずっとスライムに埋もれる

ふわふわ泡のスライムとかつくれるんですよ

中の状態を変えると

最近スライムをたくさん作っていたので

すごく包まれてるスライムに

もちもちの記憶が夢にまた再生されて

もちもちのスライムに包まれて

自分もスライムになっていくってという夢をみました

渡邉)それはめっちゃ触覚的ですね

僕最近夢の記憶がないなぁ

なんかでも運動してるかもな 僕の場合は変化がカオス

ちょっとややサイコ映画っぽいカオスの感じの映像の世界が

真っ暗なのに物が見えてるって言う

世界観があって光がないけど

風景はありありと原色で見えてるっていう

世界をよく何かから逃げるように走り回っている

そういうのはありますね

和田)面白いです

渡邉)ちょっと気持ち悪い世界

和田)ちょっと想像するとドキドキしちゃいそうな

渡邉)息が切れているような気がしますが

皆さんはどんな夢をどう感じているでしょうか

是非教えてもらえればと思います

ということで2週間にわたってインタープリターの

和田夏実さんにお越しいただきました

どうもありがとうございます

和田)ありがとうございます

■SPINEARで聴く

https://spinear.com/shows/takram-radio/episodes/2022-12-23/

■番組情報

番組名:TAKRAM RADIO

放送局:J-WAVE

放送日時:毎週木曜 26:00-27:00

ナビゲーター:渡邉 康太郎

番組HP:https://www.j-wave.co.jp/original/takram/

番組Twitter:https://twitter.com/takram813

番組ハッシュタグ:#takram813

ポッドキャスト:https://spinear.com/shows/takram-radio/

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